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*Rada History 1* ゴボウを食べ過ぎた


「おなかの中にいるとき、お母さん、いっぱいゴボウ食べんでしょ」

「白いお母さんから、どうしてこんな黒い子が出てきたんだろうねぇ・・・」

小さい頃、私は、色が黒いことで、「私たちと違う」と、いつもイジメを受けていました。

肌が白く、美人で華奢な母に反して、生まれてきた子はなぜか地黒。

本当に嫌で嫌でたまらなく、

「どうして私だけ?」「私には責任はない」と、ひどいコンプレックスを持っていました。

「本当はうちの子じゃないんじゃないか」と真剣に思い、笑、

よく母に、「私は本当の子じゃないんでしょ!!!」と言って困らせていたそうです。

黒くて、ぽっちゃりした私(まるで黒豚!)・・・

母は、どうにかして私を女の子らしく育てたいと思ったのでしょう、

私を、バレエ教室や日本舞踊の教室に通わせてくれました。

バレエは長続きしなかったのですが、祖母が先生をやっていることもあってなのか、

日本舞踊の世界にはどっぷりつかることになりました。

「かわいい、って言ってもらいたい」

「どうにかして、まわりに認めてもらいたい・・・」

そんな想いをいつも思っていました。

だからこそ、たぶん、めちゃくちゃ頑張れたのだと思います。

4歳から始めた踊りを。

発表会では、おしろいで顔や手、首筋を真っ白に染めます。

おしろいは、冷たい水を使ってつけるので、冬場のお化粧は、本当にしんどいのですが、

それでも、白くなれるひと時が楽しみで、全く苦ではありませんでした。

さらに、日本舞踊は、身体が細いよりも、しっかりとした足腰が好まれます。

私のずんぐりムックな体形は、着つけ師にも喜ばれました。

子どもから日本舞踊をやっている子はその当時、あまりいなかったこともあってか、

「かわいいねぇ」「上手だねぇ」とお客さんに褒めてもらいました。

そして、誰よりも言ってほしい家族、母や父、祖父母、叔父や叔母に、

「かわいい」と褒めてもらいました。

発表会で踊っている瞬間―。

それは、私が私でない、唯一の時間であり、唯一、自己肯定が出来る時間だったのです。

そういう瞬間をくれる、踊りに、私は心から感謝しました。

卒園アルバムに、「踊りの先生になりたい―」

と書いたのを今までハッキリ覚えています。

Rada historyでは、ちょっとづつ、Radaの半生を書き綴っていきたいと思っています。

ちょっと出だしは暗めですが(笑)、踊りをはじめとして、さまざまな出会いを通じて、今の私がいる、

みたいなことを書いていけたらなーと思っています。

ちなみに、地黒は、今ではチャームポイントのひとつとして気に入っています♪

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